装いに対する偏見

女装とは男性が、多様な歴史や文化、風習により、生産業社が「女性用」と規定しれている被服等を着用し、女性に扮装して身体を飾り、更に化粧等を施し、自らの外見上若しくは内面的に変身することでその手段を言う。しかし、衣類の製造に当たっての基準は、販売流通を円滑にするために設けられた物であり、例えばヤングファッションと謳われたものを老人が着用したり、その逆の現象が起こり得ようともメーカーサイドはなんら損失を被るものではない。また、社会的な意味においても異端視される類のものではなく、そこには自由という哲学に向かう教育が上手く反映している。しかし、女装に関しては筆者から見れば全く同じ次元での行為と思われる物にも関わらず、異端扱いを超え奇怪な存在として認識される感が拭えない。これは人として守り行うべき道、善悪・正邪の判断において、普遍的な規準となる倫理教育の甘さが露呈した現象であり、この点を改善しなければ健全な消費文化の存続は有り得ないと考える。生命の尊厳を考えるには、嗜好や表現の自由を尊重すべきであり、それが基本となって様々な和が生まれ、人間として誇り高い文化が営まれるのではないか。女装への偏見は、平和を実現するに必要なファクターの相対的配分への危機を意味し、社会秩序の乱れへの警鐘とも取れる実に厄介な問題である。