寺院に於ける事実

日本の歴史上で女装や男装の記録を紐解くと、平安から室町の時代での文明と称する習慣性行為として、男は元服(通常11歳~16歳の間に行う成人になったことを示す儀式で、髪や衣服に関するスタイルチェンジ)女であれば裳着(通常8歳から10歳の間に女性になったことを示すもので、結婚を願う親の意思の表れで行う衣装転換時期を意味する)を行い夫々が成人を意味する儀式が行われる。しかし、この例に漏れる者として元服をせずに寺などに仕える童と称する存在があり、これらは男の外見とは一線を画し、視覚的な差異は歴然としたものである。それは身体的な意味に反し、社会的な位置づけは微妙な位置に置かれており、双性とされる特性を持っていたようだ。この童は様々な地位やポジションに分かれ、その営みから女装の痕跡とみられる姿が現代の写真に取って代る絵巻物に数多く残されている。鎌倉の時代には僧侶と女性の姿が描写されているが本来、寺の戒律は厳しく、僧侶の集団に女性が立ち混じる事はありえないと言えるらしい。とある中世史家の推察では、この姿は女装という言葉を使ってはいないが、その実相も否定はしていない。以上のような事実から推察すると、性別は絶対的なものであるが、表現に於ける概念とはむしろ関係なく反映しているようだ。女装の哲学はこのような背景を踏まえ、種々の情報をもとに思索し、その上に立って自由な発想で展開されるものではないかと考える。