文化人類学者の甘さ

日本の社会を構成する人間は性別という分類の下に存在し、その役割分担は必ずしも一様でなく非常にランダムな形で機能していると考えらる。女が男を装う事に関する違和感やその逆の女装に対する個人の主観は様々な背景の下に多様化されており、ここではでは文化学者レヴィ=ストロースが明らかにした結婚の本質「女性は美の象徴であり、それを他家に嫁がすことにより両家の関係をより結びつける」についての反論を述べることによって、写真スタジオの立場でより豊かな女装ファッションの可能性について述べてみたいと考える。ストロースは女性を美しいと定義しているが、美学に精通した人物である裏づけはなく、非常に曖昧な性別意識をもった人物であるような気がする。男女はそれぞれ生きるという目的を持ち、それに必要な活動をする生物と言えるが、美の観点からそれらの優劣を決められるはずはなく、個人の歴史がそれぞれ内面に感じ決定づけるものである。したがって男性が女装する場合、単なるファッションの追求であり、自身を装う非常に豊かな行為と受け止め、ある意味優越を感じ大胆に自己の表現をすべきではないか。世には根拠のない概念や良識が存在し個人の嗜好を阻害するが、それらへの洞察が自分の人生を豊かな物とするのであれば積極的にそれに対抗すべきではないか。それが女装 ドットネットの基本的哲学である。