未来の可能性

女装について写真工房の立場では他社からみれば正に身を挺してアナライザーの如く論じているかのように見えるこのコーナーだが、一人の人間がその嗜好にそってファッションと言う名の下に表現領域を確保する姿を、画像という媒体に記録する業務を担うからには、決して特殊な行為として執筆しているのではない。自らの持つ力は常に微力であり、背景となる将来の風に支えられるものである。大変抽象的、且つ自分勝手な表現ではあるが、様々な出来事に目を輝かして接する場合、規制の概念に新たな息吹きを見出し、その純粋さを信じて明日に向かう創造者としての発想を、より強固な体勢で挑まなければアバンギャルドは成立しない。単的に言うならば、女装者とそれを撮影するカメラマンとは同次元での発想の提示をしている。被写体としてヘアスタイル、メイキング、衣装などに気を配る行為も、レンズの選択やライティング、カメラアングルを考える作業も全く同じ次元での行為なのは言うまでもない。「今」を表現できるのは「明日」が有るからであり、その明日に躁を見なければ生存の価値はなく、表現の源を絶たれたこととなる。ファッションフォトの根底に流れる概念は将来に対する明るさを信じることに尽きると言えるのではないだろうか。女装に於いても同様である。